会わない後悔より会う後悔。

Hello!Projectと関ジャニ∞を愛する20代女子の戯言

自殺は、絶対悪なのか

息をするように、死にたい、と思う。

自分の自殺念慮の強さには気づいていたが、こうまでも人と死生観、というのだろうか、それが違うのを気付かされたのは、つい最近のことだった。

 

今年の秋、同期が一人、会社を辞めた。

金銭問題が大きな原因であり、彼の精神的な問題はほとんど関係ないのだが、ふと、そういう話題になった。

 

同期たちが、口を揃えて、

「自殺しようとか、思ったことは無い」

「生き方なんていくらでもある」

と、言うのを聞いて、

ああこれが普通の感覚なのか、

と、思ってしまった。多くの人が生を基準に考えているが、私は常に死を基準に考えていることに気付かされた。

 

こうなってしまったのは、いつからだろうか。

社会での生きづらさには心より先に体が反応した。もう9年前のことだ。

病院で心の病と診断され、症状に名前がついた。けれども、薬を飲み、認知療法をはじめ、リハビリすることで、今の私の状況からわかるように、社会復帰ができた。

特定の原因から離れ、認識することで、その病気自体の完治はしたが、いわば後遺症みたいなものが今も根深く残っている。

 

それが強い自殺念慮なのだと思う。

特定の原因があっての自殺念慮、自殺企図が、理由なき(なくもないかもしれないが)自殺念慮となって、今もなお私の中に根付いている。 

 

今現在ある、このそこはかとない自殺念慮が、自殺企図にまで至らず留まっているのは、病気だった頃(今もそうでないとはいえないかもしれないが)、自殺企図を起こした時に、それが困難なことを思い知ったからだ。

この世の中は、死にたい人ほど簡単に死ねなくて、死にたくない人ほど簡単に死んでしまう。

それに加えて、こんな私でも、人様に迷惑をかけたくない気持ちだってある。(死ぬこと自体が迷惑だといわれたら元も子もないのだが)物理的に迷惑をかけずに、確実に死ねる方法はなかなかない。

この確実というのもまた、キーなのだ。

私は、確実に死ねなかった時を一番恐れている。下手に後遺症を残したり、重い十字架を背負って再び生かされることが何よりも怖い。

 

よく、趣味に没頭していて、充実していて楽しそう、と言われるが、あくまでもそれは、どうせ死ねなくて生きていなきゃいけないのであれば、せめて楽しいと思えるもので紛らわす、その手段でしかない。

 

誰にも迷惑をかけず、確実に死ねる方法がこの世に生まれてしまったら、私はきっと自ら消えることを選ぶだろう。

 

私は自殺を推奨しているわけでも、善としたいわけでも決してない。しないに越したことはないし、良いに決まっている。

命がとても尊いものであるのは、どう考えても真実であるからだ。

 

この私の話や思いに、大きな怒りを抱いたり、否定したり批判したりする人は絶対にいる。

これを機に離れていく人もいるだろう。

 

それでも、自殺は絶対悪なのだろうか。

世の中には生きたくても生きれない人がいる反面、死にたくても死ねない人もいる。これは悪であり、生こそが絶対正義なのだろうか。

 

ベルギーでは、積極的安楽死が合法化された。

安楽死合法のベルギーで24年の命を絶つ決心をした女性。命とは何かを考えさせられる - Spotlight (スポットライト)

この記事を読んで、消えない自殺念慮を抱いて悩む、その気持ちを、どこか受け入れられた気がした。ほんの少しだけ楽になれた。

 

容認しなくていい。こんな考えをして、こんな思いを持つ人が、マイノリティとしていることを、悪だと思わずに、ああそういう人もいるんだね、と思うことは、不可能なのだろうか。