まわりからは普通そうに見えたり、充実してそうに見えたり、何もそこまでのことを抱えていなさそうに見えたりしても、この世を手放そうとしている人が、思ったよりもずっと近くにいる。
この間放送されていたMIU404*1 4話のとあるシーン、星野源演じる志摩が犯人に銃口を向けられた際、撃たれたら確実に死ぬのにそれも厭わぬ素振りをしていた。
志摩は、常に死にたいと思って行動に移しているわけではないが、いざその縁に立った時、簡単に手放せる人なだけだと思った。私はそのシーンを見て、なんだかシンパシーを感じていた。
いくつもの映画の公開を控え、次のクールのドラマ、半年先の舞台が決まっていた。多分まだ情報の出ていないお仕事だって、あっただろう。
優れた容姿に、秀でた才能、誰もが羨むものを手中におさめていてもなお、努力を惜しまない。ストイックで、真面目で、人望あふれる人でも、縁に立っていることがある。だからこそ、かもしれない。
手放した人の近くにいる人たち、
どうか、自分を責めないでほしい。
あの時ああしていたら、とか、私がこうしていたら、とか。過去を振り返って、ひとつひとつの自分の行動を悪いように拾っていかないで。
自分を追い詰めるようなこと、深く考えないで。
それぞれの抱えているものは他人には到底わかりっこないし、手放せる人は、容赦なくそれを手放してしまう。抱えているものが重かろうが、軽かろうが。まわりにどれだけの人がいようが、いまいが。そこに他意はない。あるのは、自分が手放したという事実だけ。
どうか誰も責めないで。
外因よりもそれは内発的なもの。*3
誰もその縁はわからない。自分の縁だって、わかっていない。
責めるよりも、第二の死を迎えさせない方がよっぽど良い。その人のことを想って、その人との思い出に寄り添って、たまにその人に語りかけて、そうして記憶に残し続けていた方が、よっぽど。
手放しかねないやつが大それたことを言うの、おかしいと思っているけれど、縁に近いものが思うこと。あなたは悪くない。だから、覚えていて。
今はただ、安らかに。