学校にうまく馴染めず中学2年生の春、適応障害を発症し不登校になった。学校に行かなくなってから数ヶ月後、通っていた心療内科から市が運営する教育支援センターを紹介された。フリースクールというのだろうか、同じように学校に通えない市内の小中学生が同じ教室に集まって各々勉強したり、交流をするところだった。
当時学校には行っていなくても塾と英会話教室には通っていた。けれど、日中家に引きこもって勉強するか寝るかネットサーフィンするかしかない生活はあまりよろしくないという自覚はあった。心療内科からすすめられたことだしと、そのフリースクールの見学には行ったのだが、結局通うことはしなかった。
「フリースクールに通う自分」が許せなかった。学校というコミュニティから逃げたくせに類似の空間に身を寄せることが腑に落ちなかった。多分、私はここに通う人たちとは違うと思いたかった。不登校になった時点でとうになくなっているはずのプライドなのに、私はそれがどこか捨てきれていなかったのだった。フリースクールやフリースクールに通う人に対してどうこう批判じみたことを思うことはないのだが、自分がそうである事実は受け入れられない。この自他の乖離現象はなんなんだろうか。高校生になり国語の授業で出会った山月記にいたく感銘を受けたのは、李徴子が自分だったからなのかもしれない。
この一年、仕事がとにかく忙しい。昨年度まで3人でやっていた仕事をほぼ1人で担うことになった。業務量が増えるだけなら私がフルスロットルで作業すればまだいい。ただ今の私には難易度が高い仕事も担当することになり、一つの業務にちゃんと向き合って考えないといけないことが増えた。どんどん手を動かさないと捌けないのに、考えないとそもそも手を動かせないので終わらない。そして上司と仕事への向き合い方というか、それぞれ仕事で大事にしている信念が違った。上司のことを人として嫌いなわけではないし、パワハラを受けているわけでもない。ただ仕事上の考え方が合わない。そしてまわりの人たちは優しい。和気藹々とした職場だし気遣ってくれるが、物理的になにか助けてくれるわけではない。この決定的な出来事がなく、誰も悪くない忙しさというのが一番つらかった。パワハラ上司に傍目でわかるパワハラを受けて被害者になれれば即コンプラに訴えられるのにそれもできない。私の仕事の能力と物事への割り切りが足りない。ただそれだけ。
不登校のときの話を思い出したのは、そんな日々に追い詰められていく私を気遣って夫がかけてくれた言葉だった。
そんなにつらかったら仕事やめてもいいし、休んでもいいよ。
なんでつらい側の私が、自分のキャリアを断念しないといけないの?と腹が立った。本当は会社に行きたくない、やめたいのに、それができない。毎日毎日涙が出てくるのに、それでも会社に行ったら仕事ができてしまう。今休んでも誰も私の味方はしてくれない。私が休んで業務が大変になった上司に同情の気持ちが寄せられる。休んで復帰できても、メンバーに恵まれたチームなのになぜかメンタルやって休んだやつ、っていう評価がついてまわる。そんな自分を認められない状況に、私中2のときと同じ考えを繰り返している、と思った。人っていうのはそう簡単に考えが変えられない生き物。もう15年以上前のことなのに、根本は変わらない。忙しい忙しいと職場で騒いでいる時点でプライドなんてないはずなのに、ないはずのプライドが捨てられない。
プライドの葬り去り方を教えて欲しい。臆病な自尊心と尊大な羞恥心に苦しめられて、このままだと私も虎になってしまう。